忘れてはならない物語としての『この世界の片隅に』

 クラウドファンディングで資金を募り、公開までこぎつけ作品ですね。小規模の上映ながらも異例のヒットをたたき出してるとか。わざわざ少し田舎のほうの映画館に行ったのですがほぼ満席でした。本来映画館にはなかなか行かない人間ながら今年はやたら行っています。『君の名は。』をはじめ今年はヒット作が集まりすぎて怖いですねー。日本来年にも滅亡するんじゃねえか。

 冗談は兎も角、これはエポックメイキングな作品です。戦後の戦時映画の雰囲気を一掃する革命となりえます。しかし、戦時映画ということで少し引いてしまう人もいらっしゃるかもしれませんが、とてもコミカルなシーンも多く楽しく見れる作品だとも思います。ぼーっとした主人公すずさんが戦争という暴力の中日常を維持しようとすることの美しさ、虚しさが徹底した描写の中で描かれています。かつて確実にあった広島や呉の町の活気ある様子の中ですずさんが生きたことが、少なくとも観客には確実に信じさせられる明確な描写は見事なものでした。笑っちゃうようなシーンでは観客が笑っちゃうような、というよりもすずさんを見守っているからこそ笑っちゃうような状況まで追い込む要素が全てそこにありました。

 マクロの描写はほぼありませんが大体わかります。坊ノ岬大和沈没、呉空襲、広島の原子爆弾、というかこれ日本史ですし、なんなら小中と見せられた反戦イデオロギーに満ち満ちたトラウマメーカーと同じです。ですがここで志向されているものは全くの別物です。マクロの下で戦火・惨劇の中で生き抜いた人々の物語です。

ーーどれほど辛かろうと起きたことを無かったことにしてはならない
だってそうなったら嘘になる
苦しみながら死んでいった人がいた
誰かを助けるために死んだ人がいた
彼らの死を悼み長い日々を越えてきた人がいた。

なのに、何もかもが無かったことになってしまったらそれらは何処に行けばいいと言うのか

悲しい事があっても、それに挫けず前を向いて生きていくことは尊い事のはずだ
ーーそれを、亡くす事なんて、出来ない

 fate/stay night の士郎君のセリフの改変ですが、まさしくこう思いました。この物語は忘れられてはいけない物語なんです。戦火の中で悲しむ暇もないのにそれを乗り越え、折り合いをつけ確実に生きていた。だからこの物語を感動という言葉で片づけるのは怠慢だし、侮辱のように思えます。彼女ら、彼らは私たちを感動させるために生きたわけではないのです。それに感動してしまうと細部が見えなくなります。最後の一秒まで目を逸らさず見てほしい。たくさんの人の結末がわかります。太極旗が掲げられた意味。飛行機を作っていたお義父さん。広島の妹。これらすべてを感動という一言で済ませるのは非常にもったいない。私たちがやらなければならないのは忘れないことではないか。そんなことを思いました。

 これは本当にすごい作品だと思います。これをリアルタイムで劇場で見られるのは極上の贅沢ですよ。

手垢がつきまくってどうしようもない映画を今更取り上げる

 タイトルにある通り、もう色々な人がとりあげてレビューも粗方出尽くしてるような気がするんですが『君の名は。』について書こうと思います。誰もこのブログ見ていないので(自分以外のアクセス0)、まぁ何言っても大丈夫なんで好きなこと言っていこうかと。
 感想としてぶっちゃけ、うん、まぁ面白かったですよ。ただですね、あれを面白いともてはやしすぎるのは良いことではないと思うんですね。それは兎も角として新海誠作品を全てまとめて考えているようなものじゃないかなーと思いました。ただ、そういう観点からこの作品を語っているものを見かけない気がするので過去作の感想、解釈や流れをぱぱーとまとめちゃおうと思います。
 
①『ほしのこえ
 デビュー作ですね。ぶっちゃけこの作品何がしたいのかわからんです。ヒロインの制服がもろにエヴァンゲリオンですね。敵が自身に変身する演出や電車や電線などの演出もエヴァンゲリオンですよね。あとはロボットはマクロスっぽいですね。ストーリーはマクロが全く見えない上に大人が全然登場しません。ヒロインはロボのパイロットなのに制服で、メールばかり気にしてやがって…。(ここら辺の大人は何やってんだってところが見ていてイライラしまする)いろいろ雰囲気は最終兵器彼女に似てますが一応同じセカイ系と分類されるのでしょう。自分としては、ただ何がしたいのかさっぱりわからないしどこが評価されるのでしょうか?一人で作ったのが評価されるというのならニコ動にたくさんいますよ。それにそっちのほうが出来のいいものがあるとおもいますよ。

②『雲の向こう、約束の場所
 これはなかなか面白かったと思います。この作品は新海作品の中ではかなりの高評価です。でもこれ前後編を無理矢理続けたように見えるんですよね。シナリオの分断というか。好きなシーンが、おっさんが帰ってきたらあいつらはもう大人だというシーンなのですが、ここを見逃した人がこの物語をバッドエンドと見なしてるような気がします。感情を失う、ただそれ本来取り返せないような壁の向こうからでも取り戻してきたのだから、それでいい。いつも逃げてきた主人公がここで戦って戻ってきたものにただ満足する。それだけでいいじゃないですか。私にはバッドには見えません。まあ強いて言えばトゥルーエンドですかね。ここで見えてくるのが、奇跡に対する代償。奇跡が起こる代わりに痛い目見てもらいますよ。それで辛いというのは卑怯ですよってことです。そのために大人になってくださいね、あるものでとりあえず満足してください。ある意味合理的な考えだと思いますよね。

③『秒速5センチメートル
 これまたバッドエンド扱いされる作品ですよねぇ。特にヒロインはNTRだとかビッチだとかひどい言われ様です。だが私は声を大にして言いたい。
バッドエンドではない。トゥルーエンドだ。
主人公、高校生のころには別にもう好きでなくなっているのでは?本当に好きなら親にねだるとかどんな手を使って会いに行きますよ。どこか時点で恋が思い出に変質していたのではないでしょうか。その思い出にヘンな幻想を抱きすぎ、心の拠り所にしていたところ振られた。そうすると拠り所がなくなり潰れる。ラストに振り返ると運命の子だと思っていた子が、いない。それでも満足そうなんですよね。ここで諦めがついたということです。運命だと思っていた出会いでも時間という隔たりの前には無常にも変質し思い出になってしまう。そういうものが見えてきます。

④『星を追う子ども
 これは、意味不明ですね...。まあシナリオの分断は感じさせませんでしたが...、ここしか進歩がないです...。これはどうなんでしょうか。主人公はメイだし、冒頭の化け物とのシーンはもろトトロですし、変な兄ちゃんはハウルだし、弟のほうの旅立ちはアシタカだし、暴走エヴァみたいなのが出てきますし、飛行石だし。気持ち悪いです。

⑤『言の葉の庭
 これはなかなか面白かったですよ。今思い返せば男女が初めて本音を出し合ってぶつかり合ったんじゃないですかね。すでにこの作品で以前からあった断絶の問題は解決されてます。断絶を相互の理解という形で乗り越えてます。一番分かり合った相性のいいカップルなんじゃないかと思いました。

 新海誠監督の作家性というのはしっとりとした男女の関係性と繋がり合えない断絶だと思うんですよね。男女のエピソードを積み上げていき、そこから断絶の壁を建てる。男女、特に男が、会えない、どうしようもない、どうすればいいのだろうかこの気持ちを、と悩むわけですよ。そこから一気にラストへ向かい走り抜く。ここで問題が起きるわけですね。現実として長距離恋愛の成就というのは難しいという問題です。いつの間にか恋だと思ってたモノが良い思い出に変わってしまったり、届かない場所へ行ってしまったりとどんなにエピソードを組み上げても崩れるのは実は容易だったりするんですね。物語を作る上でこれは大きな弱点ですよ。最後はハッピーエンドで終わらないと大衆は納得しませんから、どんなに良い物語でも悲しく見えるトゥルーエンドを作り続けてもなかなか大ヒットとはならんのです。(もうちょっと物語のリテラシー上がればもっと広く楽しめるんですけどねぇ…、国語の授業あたりでなんとかできんものなのか…)
 『君の名は。』は全ての作品の継ぎ接ぎです。ああ、このシーンは秒速。これは雲の向こうの要素だな。星を追う子どもの設定の流用だな。そのようなことは見ていてとても思ったものです。それでも、過去作を見ているとやっとここまで来たのかと感心します。長年積み重ねてきたものの萌芽というのは素晴らしいものです。作品自体はわかりやすく作られているのでアホでもわかりますし、これだけ見ればいいというのもそれはそうなんですがそれだけじゃもったいないと思うんですよねえ。本来逢えない二人が逢えるということ自体が強烈なメッセージになりうるのですが、それ以上には成り得んのですよ。実際それ以上の話はしないので本当にそこまでです。過去作見たほうが楽しめるよってことですねえ。とりあえずこれが最高傑作になって終わることにはならないと思うので楽しみにしときます。
 でも言っておかなきゃならんと思うことが...
新海貴様おっぱいもんだり、パンチラしたり、女の子にチンコ見せたり、触らせたり、そんなことをするとは思わなかったぞ!!!!!許さん、許さんぞー!!!!!!もっとやれ!!!!!!!!!

物語の形は変えず、思想を変える

 皆さん細田守さんてご存知ですよね。何やら一昔前はポスト宮崎なんて持ち上げられちゃって可愛そうだなぁなんて思ってたりしてました。まぁ、この人の最近の『バケモノの』子とか『おおかみ子供』あたりは正直あんまり好きでないんです。でもやっぱり、デジモン映画の『ぼくらのウォーゲーム』はかなり好きなんですよねぇ。40分ほどできっちり起承転結まとめて来て安定した出来ですね。後半の燃える展開は必見です。
 細田さんの出世作の一つ、『サマーウォーズ』と『ウォーゲーム』が今回の話題の中心です。有名な話ですがこれらの展開がどちらも同じなんですよねぇ。
敵が現れる→負ける→拮抗して戦える→やっぱピンチ→機転を活かして勝利
 大雑把に言えばこんなもんだったと思います。ただこの機転の部分が違うため物語の印象が違ってきています。そこが面白いところなんですけど、ウォーゲームでは世界中の人からの応援のメールが邪魔だと言って敵に送り付けることで倒すことが出来るんですよね。一方でサマーウォーズだと応援で勝てます。そしてウォーゲームはそもそも味方が集まることすら苦労しますが、サマーウォーズは味方がいても邪魔だったり無理解だったりします。(ウォーゲームはネット上で合流しましたが現実では…)
 ウォーゲームは、必要な人は必要だが不要なものは不要、周りに"誰もいない"。サマーウォーズは"みんないる"から勝てた。どちらもストーリーラインは同じですが根底にあるものは違った方向性なんです。まぁこんなことを挑戦した細田さんは凄かったですねぇ。(まぁサマーウォーズの方は露骨な部分が多くて自分としては面白いんですけど評価結構低かったりしますが)
 物語の形というか構造というものは有限の財産なので、思想というかテーマを変えることで印象を変えるというようなものは実は有用なことなんじゃないかなとか思ったりしてます。疲れたので今日はここまで。

個人的に蟹の形がええやんて思ったとこ

 読んでからちょっと時間経ってるのでなんか忘れてそう何だけれどもタラタラ書こうと思います。

①喋ってないのにが喋ってるやんけ!
 ストーリーを語るのが得意な方だと思っておるんですがここはもう特筆すべきとこだと思ってます。ヒロイン?というか女の方の主人公、西宮硝子はろうあ者で基本手話で作中話すことになります。で、この手話のシーン。とんでもないですよ。作画でもう大体何言ってるのかわかるんですね。ああっ、ここ厳しいこと言うてるなとか、落ち込んでるなとかわかるんです。
 手話のシーンで手話を理解してるキャラのみでしか意味も出さないことも特徴のひとつですね。要するに硝子と手話を知ってるキャラとの会話や硝子との会話を訳せと他のキャラに要求した時のみでしか訳を載せないんです。

ディスコミュニケーションのもどかしさ
 絶妙にキャラとキャラの会話が一致してないんですよね。どうしてほしいとかあーしてほしいとかね。特に硝子とか凄く可愛そうです。状況がわからないけど何となく自分が悪いんだろうなって自責ばかりが溜まっていくのが丁寧に読んでるとわかります。主人公の石田しょうやくんとその母のやり取り何かは凄くフランクで見ていて気持ちいいんですが、そこらへんは親子間ですもんな。まぁしょうやくんと永束くんの喧嘩も一番わかりやすい例かと思います。

③うまくいかない歯がゆさとの折り合い
 人と比べてどうだとか過去のトラウマとかまぁ生きてりゃありますよ。そういうこととかどうしようもないですよね。全部乗り越えるというか飲み込んでくしかないじゃないでしょうか。佐原さんみたいに少しづつでも自身を研鑽していくのか、真柴くんみたいに人との出会いで見識を広めていくのか、色んな形がありますね。どれも自身の内にあるもどかしさとかをどう処理してくかです。それこそが成長なんですね。

 うんたらかんたら書いてみましたけどなんかイマイチ覚えてないとこが多いですね。聾唖問題を取り扱ってると言われることが多いみたいなんですが、入れ物がそれなだけで中身は全く関係ないところが地味な落とし穴ですよねこの作品。
 あとはまぁどうでもいいんですが個人的に一番ぐっと来たところが、小学校の先生が手話を理解してやっぱり立派になったじゃないかと言ってるとこでした。やたら"立派"という言葉に拘ってるところとか読んでて楽しかったです。

こえのかたちについて

 今、聲の形が映画化されてるじゃないですか。原作がかなり好きなんですよね。映画化されると聞いたときそこらへんの漫画ファン同様やめてくれと思ったわけですよ。あの独特の空気感とか展開とかたかだか2時間くらいの映画で再現できるわけないと思うわけです。それで映画の情報とか見てて肝心な要素が抜けてるワケですよ。映画製作とかキャラの個人回が。これないとドラマトゥルギーが弱くなるんじゃないですかね。だからたぶん映画の方は見ないと思います。けどまぁムカつくの批判します、見てないけどボコボコに。『見てない奴に批判する権利はない馬鹿野郎この野郎』と怒号が飛び込んで来ると思うんですけどちょっと待ってくださいよって話ですわ。
 残念ながら見てないのに批判する奴は世の中にたくさんいるんですよ。たぶんその一番の被害者が週刊少年ジャンプで連載中の『ハイキュー!』です。何でかって言うとハイキュー好きだって言うとホモ漫画と罵倒されるされるんですよ。実際読んでみればそんなホモ臭くないですし、かわいいマネージャーとかも結構出てきてるんですね。要するに読んでない方からの批判だと思うんですね。ハイキューなんて結構売れてると思うんですけど。そんでもってその批判が意外と読んでない方からすると信憑性を持ってしまうのが厄介なんですよねぇハイキューの場合は特に。
 まぁこんな具合に読んでない見てない方から批判されることは避けられないことだと思うんですよ。そういうもんだと諦めるしかないと思います。面倒なのでここで辞めときます。

いやまぁそれではねえうんそう

 ノリで何となく作ってみたのだけれどもどれだけ続くのかしら。どうでもいいこと何だけれども、僕はまぁいわゆる反出生主義者で人類は滅んでしまうのが一番だと思ってる人なんですよ。そんなことは書いた通りどうでもいいことなんですわ。とりあえずまぁ好きな漫画とか映画の話でもしていこうかなぁ何て思ったりしてます。
 先に書いて置きますが、全部自分が勝手に思ってることで人様に教えたりするようなことをする気もないただの雑記なのでそこらへんは留意してほしいなと思ってるわけなんですね。そうですねぇ10日持ったら奇跡ってとこですね。ブログって消せますよね?
 たぶん誰も見ないし見てないと思うので毒を吐きまくります。気分を害したら走って来るといいですよ。僕もよく走ります。